俺もその傾向があるので自戒的に書くけれど、何故『趣味』となると何かそれを趣味としていない人よりも秀でていなければならない、という意識が強いのかわからない。

なんか、別に好きだとかそういうのだけじゃダメなのか、と時々厨二的に思う。

というか、前後逆転現象が起こるときがたまにある。

趣味にするためにこうしなければならない、みたいな。

俺はどちらかといえば、それを続けていた結果趣味になるほうが自然な気がする。

そして、結果的に秀でていることがあるのであって、それが一種の判断材料になってしまっているわけだけど、趣味がころころ変わるのもありだし、ころころ変わるなら知識が少なくて当然ということになるんじゃないかと思う。

しかし、どうも公に趣味として公開する場合にはそれについてよく知っていなければ変な風に見られるようであるし、そうでなければ捏造しているように見える、ということがたまに感じる(俺もそう)。

何故そういう発想に至るのか、ということを考えると、そういうことをする機会が発生して、そういうことをする人がいるからなのであって、何故そうしなければならないかといえば、強制的に趣味を言わなければならない現状があるからである。

趣味 : 特になし、という表記が変に見えないようにはなるのだろうか…

特になしと書くと変に見られるようでいて、しょうがなく何か無理やり書くとそれについて深い知識が求められる。

しかも、相手がそれについて詳しいとかなり知識がないと趣味として認めない、という人もいるのではないだろうか(たぶん俺だが)。

これではいかん(俺が)!息苦しい!

まぁ、書いていて思うのは、事実とその事実から連想した自分の勝手な発想を切り分けないといけないわけで、被害妄想なりなんだりはやはりここから出てきて、俺も例外ではないのだなぁ、と思いました。

気をつけます、はい。

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